2016年12月30日金曜日

中坊進二と京都。覚勝院、お気に入りのポイント

京都の初冬の風物詩といえば、誰が何と言っても「大根焚き」。 「大根焚き」は別名「大根供養」とも呼ばれ、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いた日(12月8日)にちなんで行われる仏教行事です。 起源は鎌倉時代に遡り、梵字を書いてお供えした大根を、魔除けとして他の大根と一緒に焚きあげて信者に振る舞ったのが最初と言われています。 昔は丸い聖護院大根の腹に一つずつカラメルで梵字を書いていましたが、年々参拝者が増え、聖護院大根だけでは足りなくなってしまいました。そのため、現在ではどこも長い大根を使っています。 仏教行事なので、大根焚きをやっているお寺は京都にも複数あります。 鳴滝の了徳寺や千本釈迦堂、山宝寺が有名で、最近は延暦寺なんかもやっていますね。 でも、大根焚きの一番乗りは、京都市右京区の大覚寺の塔頭・別格本山の覚勝院(かくしょういん)です。 覚勝院は、真言宗大覚寺派の大本山の大覚寺の塔頭。大覚寺を訪れると、右手のバス停留所の向かい側にあるのですぐわかります。 長い白壁に黒い瓦の載った立派な門。どことなく時代劇に出てくる武家屋敷のような趣のお寺です。 親しみをこめて「聖天さんの大根焚き」「聖天さんの大根供養」と呼ばれる覚勝院の大根焚きは、11月末(旧暦の小雪を挟む2日間)に行われ、楽しみにしている人も多いのです。もちろん中坊進二も。 ご本尊は十一面観音ですが、聖天堂に祀られているのは「聖天さん」と呼ばれる歓喜天。 その聖天さんの好物は、お酒とお団子と大根。 中坊進二も好きな三品です。聖天さんと味の好みが合うなんて光栄。 聖天さんにお供えされ、供養された大根のお下がりを頂くと、人生を歓喜悦楽して暮せる、と言われています。難しい言葉では「心身の毒が消え八福に欲する」と言います。 中坊進二も境内に溢れる信者の方々に混じり、お揚げと共に2日間焚かれ、柚の刻みを載せた優しい味のお大根で深まる秋を味わってきました。

2016年12月29日木曜日

中坊進二と京都、渡月橋についての色々

中坊進二が京都の渡月橋に訪れるときには、様々な情景が複雑に交差して、感慨深い気分になります。最近では珍しくなった形式であり、昔の桁橋の原型をよく残している構造物です。見た目は鴨川の三条大橋とよく似ているもので、それぞれのスパンは非常に短い構造です。橋脚と橋桁の部分はRC構造になっているわけですが、中坊進二が初めて見たときには、これは完全な木橋だと思ってしまったことを覚えています。 京都の渡月橋には独特な魅力があるため、中坊進二は形にも注目してみました。橋脚は4本の太い柱で支えられる構造で、手前には水切りのようなものが設置されているため、三角形にも見えます。上部工の高欄は完全な木製ですから、周囲の渓谷美と見事に調和します。高欄の端部にあるのは親柱のようなもので、橋の名前が書かれているのですが、見た目からして時代劇に出てくるような雰囲気があります。右岸側の嵐山駅から出発するときには、最初には渡月小橋を通ることになりますが、中坊進二はこちらの造形美も大好きです。 中坊進二と京都を考えると、渡月橋の絶景は常に頭に浮かんできます。紅葉の名所として知られ、周辺で蛇行する桂川のダイナミックな地形も印象的です。左岸側には嵯峨野があり、一角には世界遺産に登録されている天龍寺などの名所があるため、京都らしい寺社の街並みを眺めたいときにも訪れています。昼間には紅葉と調和する青空の景色が見事ですが、暗くなるとライトアップで美しくなりますから、冬の寒い夜であっても訪問することを楽しみにしています。

2016年12月28日水曜日

中坊進二の京都トリップ、野宮神社を訪ねる

中坊進二が京都旅行で是非お勧めしたいスポット野宮神社をご紹介します。 京都・嵯峨野の竹林の中にある野宮神社は、京都観光でも特に人気が高い嵯峨野めぐりコースの起点に位置していることもあり、いつも観光客で賑わっています。 元々は伊勢神宮で天照大神にお仕えする斎王が身を清めた神聖な場所であり、源氏物語の「賢木(さかき)の巻」の中に登場する事でも有名です。物語の中に登場する「黒木鳥居」と「小柴垣」は今も境内に残っています。 また、良縁結びの野宮大黒天や子宝安産の白福稲荷大明神などの神様が祀ってあることから、女性に人気のパワースポットでもあります。 神社を訪れてまず目に入る黒い鳥居は『黒木(くらき)の鳥居』と呼ばれるものです。鳥居と言えば朱色に塗られたものが一般的な現代では一風変わった見た目に映るこの鳥居ですが、樹皮をはがす前のくぬぎの木材をそのまま使って建てた珍しいもので、日本最古の形式を保った鳥居だといわれています。 黒木の鳥居をくぐって神域内に入ると、本殿が迎えてくれます。本殿には健康と知恵を授けるといわれる天照大神が祀られ、本殿の右奥にある苔の庭園の向かい側には、芸能上達の白峰弁財天、交通安全の大山弁財天なども祀られています。 さらにここには、中坊進二のような恋愛成就を願う女性に人気のある神社でもあります。境内には良縁結びの神様である野宮大黒天がまつられ、本殿の左には、願い事を唱えながらなでると1年以内に良縁が訪れるという言い伝えがある「お亀石」と呼ばれる神石があります。多くの女性がこの「お亀石」の御利益を目当てに、良縁・子宝に恵まれるようにと訪れるようになったそうです。 以上、中坊進二の京都旅行のオススメスポット、野宮神社を簡単にご紹介しました。

2016年12月27日火曜日

中坊進二の京都トリップ、広隆寺で感じたこと

中坊進二の京都トリップとして、京福電鉄沿線のお寺巡りをしたことがあります。 京福電鉄嵐山線・北野線の沿線は、古いお寺の宝庫です。京都で一番古いお寺が、太秦にある広隆寺です。このこのお寺は真言宗で、推古天皇11年(603年)に建立された古いお寺です。京都に平安京が遷都されるよりも前から存在していたのです。このお寺が建立される16年前の西暦591年まで日本は古墳時代です。その頃は、日本各地に巨大な古墳が造営されて、多くの埴輪が作られていたはずです。 広隆寺は聖徳太子が所有していた仏像などを安置するために建立されたお寺で、大陸から仏教が伝来してからまだ数十年しか経っていない頃です。このため、寺には非常に多くの国宝や重要文化財が所蔵されています。 中坊進二が注目した仏像は、宝冠弥勒菩薩(半跏思惟像)と宝髻(ほうけい)弥勒菩薩像です。これらは国宝に指定されていて、学校の教科書にも載せられています。半跏思惟像の本体は赤松の木で作られていることから、大陸から日本に持ち込まれて聖徳太子が譲り受けたものであると考えられています。残念ながら仏像の顔の部分は昭和時代に石膏で補修が施されているので古代に造られた当時の顔とはかなり異なるそうですが、日本書紀に記述されている古い仏像です。 仏教といえば日本の伝統的な文化というイメージがあります。しかし、このお寺が建立された7世紀初頭の日本人にとっては、仏教は異国の新しい文化であると認識したはずです。当時の日本人にとって、仏教の死生観や教理、仏像や建築様式、作法など全てが新鮮に感じたに違いありません。 中坊進二が広隆寺で感じたことは、安置されている仏像が教科書で見たことがあるせいか、生まれて初めて訪れた場所なのに懐かしいような感覚を覚えたことです。

2016年12月26日月曜日

中坊進二と京都、梅宮大社についての色々

梅宮大社は京都の中でも中坊進二が一押ししたいスポットです。毎年初詣に行き、それ以外の時期にも度々訪れています。右京区梅津に位置する梅宮大社は、住宅街の中に位置しています。阪急線の松尾駅から徒歩約15分。桂川を眺めながら歩いていきます。いつ行っても澄んだ空気と落ち着いた雰囲気で気持ちをリフレッシュさせることが出来ます。5棟の社殿は京都府登録文化財にも登録されています。古くから子授け、安産にご利益があると親しまれており、お酒の神様でもあります。また、こちらに祀られている仁明天皇が作曲家であり、横笛の名手だったことから音楽の神様としても知られており、社務所で売られている音楽・芸能のお守りは全国でも珍しく、遠くから買いにくる音楽関係者もいるほど人気です。そしてこちらの神社は名前の通り、京都有数の梅の名所としてもとても有名です。2月から3月頃にかけて、神苑の梅が色鮮やかに咲き誇る様子は圧巻です。社務所では自家製の梅干しが販売されていますので、お土産に買って帰るのも良いですね。梅だけでなく、桜と紅葉の人気スポットでもあります。春夏秋冬いつ行っても日本の四季の美しさを感じられる場所です。是非参拝の際には神苑も見学されることをおすすめします。そして、中坊進二のおすすめは梅宮大社をゆっくり参拝し、その後嵐山まで散歩するコースです。嵐山までも徒歩圏内の近さなので、中坊進二はいつも参拝の後は嵐山を観光して、日々のストレスや疲れをデトックスしています。

2016年12月23日金曜日

中坊進二が京都、武信稲荷神社で見てほしいポイント

京都にある「武信稲荷神社」は名づけや命名に縁の深い神社です。京都のパワースポットと一つとしても知られており、中坊進二もそのご利益を得ようと「武信稲荷神社」を訪れました。ご神木は樹齢850年ともいわれる榎で、健康と長寿の神として知られていますが、榎を「えんの木」とも呼ぶので縁結びや恋愛成就の神としても知られているのです。 しかもこの神社にはかの有名な坂本竜馬のその妻おりょうの逸話が残っています。この神社の南にはかつて「六角獄舎」という牢獄があったのですが、そこにはおりょうの父である楢崎将作が勤王家の医師であるという理由から捕らえられていました。おりょうも竜馬も面会は許されず、このご神木に登って牢獄の様子をうかがっていたといわれているのです。また龍馬独特の字で「龍」の字が榎に彫られており、自分は無事だとおりょうに伝えるために竜馬が彫ったのではないかと伝えられています。京都を訪れたら、竜馬ファンならぜひこの神社のご神木を見ておきたいものです。中坊進二もパワーをもらうと同時にそれを探すのを楽しみにしていました。 せっかくなので、武信稲荷神社だけで購入できるお守りを買ってみることにしました。中坊進二は縁結びのお守りを買いましたが、袋には竜馬とおりょうの姿、そして龍の文字が刺繍されていますのでとても良い記念になりました。ちなみに縁結びの他にも円満守りもありますので、ご夫婦の場合はこちらを買ってみるのも良いでしょう。

2016年12月22日木曜日

京都巡り、正運寺、中坊進二のお勧めポイント

京都巡りをするなら中坊進二のお勧めは正運寺です。京都市中京区にある正運寺は阪急京都線「大宮」駅下車で徒歩5分ほどの所にある浄土宗鎮西派のお寺で、本尊は阿弥陀仏です。1,600年(慶長5年)加藤清正の重臣である飯田覚兵衛が深誉上人を開山として創建したとされます。この人物は加藤家三傑の一人で槍の使い手としても名を馳せ、日本槍柱七本の一人に数えられています。 1788年天明の大火の時は当時の観音を信仰していた身重の女性が、この寺で無事出産したことから安産時と呼ばれ女性の信仰を集めました。文化財としては中坊進二のお勧めのひとつでもある、江戸時代の東町奉行所の与力だった森孫六の研いだといわれる槍の穂先です。 そして中坊進二が最もお勧めのポイントは、この森孫六と同僚の渡辺金三郎に関わるものです。森は大変活躍した人なのですが、安政の大獄で沢山の人を江戸に送ったことで志士たちから逆恨みされました。そして1862年近江の旅宿「石部宿」で惨殺されたのです。その時の刺客団24名の中には、「人斬り以蔵」で有名な岡田以蔵や長州の久坂玄端などがいたのです。森たちの首は京都の粟田口まで運ばれましたが、梟されました。 この当時の絵師が渡辺金三郎の生首を絵に描いたのが、「渡辺金三郎断首図」(正運寺蔵)として残されました。首は竹に串刺しにされた上に口は紐で縛られ、眼は閉じられています。何でも実際の血糊を顔料に含ませ色付けしたといわれています。結局のところ森以外のお墓の場所は不明となっています。 生々しい歴史の1ページとして日本人なら心に留めておきたい所です。

2016年12月21日水曜日

中坊進二と京都、見応えたっぷりの二条城へ

京都が好きで毎年秋には必ず遊びに行く中坊進二ですが、色々なお寺などを見ている中で、やはりとても印象に残っている観光スポットと言えば二条城です。京都には珍しいお城という事で、外国人旅行客などが多く訪れていますが、日本人の中坊進二たちにとっても、京都の中でも興味深い観光スポットであるという事が出来ます。二条城には修学旅行で訪れたのですが、数十年前の記憶は既に消えてしまっており、徳川家康が作らせた有名なお城だったという事くらいしか知らない状態で訪れました。不審者の侵入を防ぐために作られた、うぐいす張りの廊下も初めて自分が歩いてみてキュッキュと音をたてたので、噂に聞いていた通りで嬉しくなりました。そして、昔の日本人たちが色々な工夫をして二条城を建てたという事にも深い感動を覚えました。中坊進二が特に印象に残っているのは、車寄の屋根部分です。とても優雅で品格を感じる形である事に心を打たれ、写真を何枚も何枚も撮りました。ちょうど晴れて美しい日本晴れが拝める日だったので、檜皮葺とのコントラストが今でも頭の中に浮かんでくるほどです。お城の中はもちろんの事、お庭の広さもかなりのもので、気が付いたら随分と歩きまわっていて見ごたえがたっぷりでした。時間が経つのも忘れるように見入ってしまいましたが、大広間もの豪華さやいくつもある豪華装飾のほどこされたお部屋などにも、このお城のスケールを改めて感じさせられ、目がくらむようでした。

2016年12月20日火曜日

中坊進二の京都一人旅、清浄華院の魅力

京都へ一人旅に行ったとき、清浄華院へ行ってきました。 中坊進二が京都へ行くのはこれで2度目ですが、清浄華院へ行ったのははじめてでした。 本堂は外から参拝して、参拝後に朱印をいただきました。いろいろな京都のお寺で中坊進二も朱印をいただいていますが、集まってくると楽しいものです。 このお寺は華やかさがあるわけでもなく、どこかどっしりとした空気がありながら、やはり清浄で中坊進二はとてもこのお寺が好きだと感じました。歴史を感じることができる境内とどこかまだ新しさを感じることができる雰囲気が不思議でした。本堂のほかのも、不動堂があったので、こちらも参拝してきました。 清浄華院は浄華院ともいい、浄土宗四大本山のひとつで法然上人二十五霊場の二十三番札所です。 総門は歴史を感じることができる堂々たるもので、この門も魅力のひとつだといえます。このお寺のすばらしいところは、境内のいろいろなところに参拝、拝見することができるところがあることだと思いました。長い歴史を感じることができ、すべてに何かの意味がある、と感じる、そんなところでした。 ぐるぐると境内を回って、ゆっくりと歩いてみたのですが、一人旅だからこそ時間をかけて境内や参拝をすることができたと思いました。このお寺の魅力は、時間をかけてもゆっくりと過ごしたい雰囲気があり、歴史とそれぞれの意味をしっかりと考えることができるということだと思います。京都へ一人旅に来たときにはまた立ち寄りたい場所です。

2016年12月19日月曜日

中坊進二の京都トリップ、幸神社で感じたこと

京都の幸神社へ行ってきました。 幸神社はパワースポットとしても人気があるので、以前から気になっていました。 中坊進二もパワースポットがたくさんある京都には一度行ってみたくて、この神社に行くことができて本当によかったです。また、縁結びの神様がいるということで、中坊進二も張り切って行ってきました。 京都には何度かいったことがありますが、中坊進二が一番気になっていたのが、この神社でした。周辺は住宅街なのでにぎやかというわけでもなく、静寂というわけでもない、ごく普通の境内と感じました。社務所ははじめは無人なのかを思っていたのですが、きちんと人がいらっしゃって、境内を少しいくと石神さんという立て札を発見しました。この石神さんが縁結びの神様に違いがないと思い、拝んでおきました。 手水舎はかわいい鉢がおいてあって、少し楽しい気分になることができました。小さな鉢にひしゃくが置いてあって、それでそっとお水をすくって手を洗ったのですが、このときからようやく来ることができたのだと感じました。境内はほかにも何人か観光客の方がいて、静かな境内をゆっくりと歩いている方が多かったです。祭殿も大きなわけではないですが、どこか堂々たるものを感じました。屋根瓦がお猿さんのような形の文様があって、気になりました。 京都の鬼門除けということで、いろいろなことを調べてからいったのですが、やはり静かな力強さを感じることができました。大きい神社ではないです。ですが、パワースポットというのは確かに感じることができたので、行ってみてよかったです。

2016年12月16日金曜日

京都の即成院で中坊進二が見てほしいポイント

春や秋、四季折々の自然を満喫するにはおすすめの京都ですが、特に紅葉シーズンには京都の東山エリアには多くの観光客が集まります。高台寺や清水寺、八坂神社など名だたる寺院が集まる場所でも有名です。しかし中坊進二がおすすめしたいのは小さいながらも話題性のある即成院です。即成院は真言宗泉涌寺派の総本山・泉涌寺の塔頭です。今でこそ東山エリアにありますが、創建当初は伏見区にありました。毎年10月に行われる「二十五菩薩練供養」でも知られています。ここで中坊進二がぜひ見て欲しいポイントは本堂にある阿弥陀如来座像とそれを中心とする25体の菩薩像です。本堂内にある仏壇に4段に分けて安置され、そのうちの23体は楽器を演奏する姿となっています。このような姿は絵画作品としては多く見られますが、実際の立体像として表しているものはとても珍しいものなのです。阿弥陀如来含む26体のうち11体は平安時代の、そして残りの15体は江戸時代の補作です。これらすべては国の重要文化財にも指定され、見るだけで圧倒される迫力があります。京都には数多くの寺院がありますが、楽器を奏でているというユーモアのある仏像はあまりお目にかかれません。さらに中坊進二が見て欲しいポイントがもうひとつ、「平家物語」や「源平盛衰記」に登場する平安時代末期の戦国武将・那須与一です。即成院にはこの那須与一の墓とされる石塔があります。那須与一ゆかりの寺として境内には扇の紋が至るところで見ることができますが、これは「平家物語」に記されている扇の的を射抜く話から由来されています。

2016年12月15日木曜日

中坊進二と東福寺、京都を楽しむ

中坊進二は京都が大好きでもう何度か訪れています。古都というわりにはすっかり都会で、駅も近代的で地下街やデパートなどもあるのですが、ところどころにお寺や神社がまぎれこんでいて、ほかの土地にはあまりない京都独特の景色があるところが気に入っています。最初に訪れたのは修学旅行なのですが、そのときは自分の好きなところに行けなかったので大人になったら絶対に行こうと思ってました。そして大人になって働いてお金が貯まったときに、一人で行きました。そのときは秋でちょうどJRのCMで東福寺がやっていて紅葉がとてもきれいだったので、このお寺は絶対に行こうと決めていました。そして念願かなって一人で京都を訪れたとき、一番最初に行ったのが東福寺でした。このお寺の庭は紅葉が美しく見られるように作られており、楓の木がたくさん植えられています。中坊進二が行ったときは11月はじめだったので、紅葉には少し早かったのですがそれでも楓の木の半分は赤く色づいていてそれはそれでうつくしかったです。紅葉している赤いところとまた色づいていない緑が混ざり合っていたので、中坊進二個人としては少し早い時期に行ってよかったと思います。東福寺は紅葉の名所なのですが建物自体は重厚な造りになっており、鎌倉にある建長寺と少し似ているように感じました。建物の中に入って、通天橋から庭を眺めると紅葉がまるで燃えるようでとても美しかったです。そして庭を歩いていると、通天橋と紅葉のコラボレーションを楽しむことができます。

2016年12月14日水曜日

中坊進二が京都、養源院でお勧めしたいところ

中坊進二の京都旅で、昨年の春に智積院の庭園を見た後に養源院に立ち寄ってみました。 このお寺は豊臣秀吉の側室の淀君が、父であった浅井長政と祖父の浅井久政の供養のために秀吉に願って創建したお寺です。浅井家の菩提寺として有名なお寺です。創建当時は天台宗であったものの、戦後になって浄土真宗に改宗しました。京都にある有名な寺院のいくつかは創建した後に改宗した所がいくつかありますが、近代になって改宗したお寺は大変珍しいのです。 養源院の見どころは、伏見城から移築されてきた本堂の血天井です。これは伏見城の廊下として使用されていたものです。中坊進二の京都旅でも、生々しい戦の傷跡を見る機会はほとんどありません。 血天井の血痕は、関ヶ原の合戦に先立つ伏見城の戦いで、鳥居元忠ほか1000人余りの家来が城を死守して、最後に自刃した際に付いた血の痕です。自刃した家来たちの供養のために、380余名の血痕が付いた廊下が本堂の天井に移築されたのです。今でも生々しい血の痕を見ることができます。 美しい庭園や、見事な襖絵や屏風などの美術品とは異なりますが、凄惨な戦いの傷跡を今に伝える貴重な遺跡として、血天井を見ておくことを中坊進二は勧めます。 血天井の他に、本堂の襖絵は俵屋宗達の有名な作品です。俵屋宗達作の屏風はいくつか見ることができますが、襖絵はこのお寺の本堂でしか現存しないほど貴重なものなのです。 養源院は三十三間堂や智積院のように有名な観光スポットではありませんが、京都を訪問した際は是非訪問してみることをお勧めします。

2016年12月13日火曜日

中坊進二と京都、妙法院の見どころ

京都は日本人だけでなく外国人からも人気なので、これから訪れようと考えてる方が結構いるはずです。訪れる際はメジャーなスポットだけでなく、穴場スポットにも訪れてみるべきです。その一つとして、妙法院を挙げることができます。そこで、実際に中坊進二が訪れた際に感じた見どころについて見ていきます。 妙法院の見どころは何といっても仏像になります。千手観音坐像や千体千手観音立像、風神・雷神像などがあり、どれも写真や映像ではなく自分の目で観るべきものになります。平安時代や鎌倉時代にできた歴史あるものなので非常に価値があります。仏像にあまり興味がない人でも実際に見てみれば、凄いものだということが分かるはずです。中でも中坊進二が凄いと感じたのは風神・雷神像になります。カッコよく迫力があるので、本当に来てよかったと思いました。 アクセスは京都市バスの東山七条を降りたらすぐの場所にあるので、かなり良いと評価しています。拝観時間は9時~16時で、料金は600円~800円となっています。特別公開時は拝観時間が異なる場合があるので、事前にホームページでチェックしてから訪れるようにしてください。京都といったら清水寺や金閣、銀閣などを選ぶ方が多いようですが、妙法院も間違いなく魅力的なところなので少ない時間でも構わないので行ってみることを推奨します。中坊進二自身も友人に誘われて行ったのがきっかけだったので、よく知らないという方でも全然楽しめると思われます。

2016年12月12日月曜日

中坊進二の京都旅行、六道珍皇寺を訪れる

中坊進二が京都でおすすめしたいのは京都市東区にある六道珍皇寺です。「六道」さんという名で親しまれているこのお寺は、お盆に精霊迎えに参詣するお寺でもあります。建立されたのは平安時代以前と古く、冥府を行き来したと伝えられている小野篁卿の所縁の寺院で、山号を大椿山、本尊は薬師如来で臨済宗建仁寺派のお寺です。 異色のお寺として京都を代表するミステリースポットである六道珍皇寺は、山門前に「六道の辻」の石碑があり、あの世とこの世の境界であることを伝えています。六道には①地獄②餓鬼③畜生④修羅⑤人間⑥天上界の6つの世界があるとされ、死後生前の善悪の業によりどれかに赴くとされています。 六道珍皇寺は秋になると特別公開をしていて、寺宝展を開催しています。中坊進二のイチ押しは「参詣曼荼羅図」や「熊野観心十界図」など通常は非公開となっているもので、寺宝開帳に合わせて来ると特別拝観をすることができます。「冥途通いの井戸」や「黄泉がえりの井戸」など名前からして興味をそそるものばかりです。残念ながら見逃してしまった人は次回の特別拝観を是非おすすめします。 11月の特別公開期間中は、新たな梵字宝印での紅葉紙金泥の御朱印6種類セット(3,000円)を数量限定で拝観者に授与していて、こちらも中坊進二のおすすめです。通常は本尊墨書「薬師如来」の御朱印で、正式には「薬師瑠璃光如来」といいます。病気を平癒し、身心の健康を守ってくださる現世利益の仏さまということで、「大医王仏」という名前でも知られています。

2016年12月11日日曜日

中坊進二が京都で行った建勲神社

中坊進二が建勲神社を訪れたのは冬の時期です。船岡山公園からは市街地が一望できるので、空気が澄んだ冬の晴れた日を選びました。神社の境内は京都市街地の北部に位置する船岡山の山頂付近にあります。神社の入口に行くために、京都駅から市バス205系統(西大路通経由)を利用しました。出発した時はバスの車内に多くの外国人観光客が乗車していましたが、大半の人は途中の「金閣寺道」で下車しました。 北大路通に入って「建勲神社前」バス停で下車して船岡山の東側の道を進むと建勲通との交差点があり、神社の入口がありました。入口にある木製の大鳥居をくぐって中に入ると正面に末社がありました。本殿に行くためには山登りをしなければなりません。 末社の鳥居をくぐらずに左に曲がって進むと東参道の石段がありました。この石段を登るとさらに左側に石段が続いていて、道なりに進んで行くと山頂付近に出ました。山頂は広場になっていて、奥の方に手水舎と本殿がありました。本殿前の広場は美しく整備されていて、砂利が敷かれていました。 神社を訪れる前は、「建勲」の読み方は「けんくん」だとばかり思っていました。市バスの車内アナウンスでも「けんくんじんじゃまえ」と言っていました。ところが、正式には「たけいさおじんじゃ」と呼ぶそうです。 建勲神社は織田信長を祀るための神社で、途中には信長にまつわる歌碑などがありました。 メジャーな観光地ではないので神社を訪れる観光客は多くはありませんでしたが、中坊進二が訪れた日にも境内で数組の若い女性の参拝客を目にしました。 中坊進二がこの神社を訪れて思ったことは、戦国時代を太く短く生きた織田信長という人物の魅力を感じさせる神社であるということです。この場所に来れば戦国時代を生きた歴史上の人物としてではなく、人としての信長に触れることができるのです。 神社を訪れた後に船岡山公園の山頂に行き、京都の市街地を一望しました。

2016年12月10日土曜日

中坊進二と京都、大徳寺へ赴く

"中坊進二が訪れた京都の大徳寺は創建1325年頃といわれており、敷地内には20もの塔頭があります。通常非公開となっているものも多いのが残念ですが、歴史好きな方は各大名の菩提寺もありますので見てみるのも良いです。例えば瑞峰院はキリシタン大名として有名な大友宗鱗夫妻のお墓がありますし、高桐院は細川忠興始めとする細川家の菩提寺です。忠興の夫人で有名なガラシャ夫人のお墓もあります。秋頃には参道で非常に美しい紅葉を眺めることができます。ちなみにガラシャ夫人は信長の仇である明智光秀の娘ですから、広大な敷地内とはいえ、2人のお墓が同じ場所にあるというのも不思議なことです。忠興のお墓は燈籠の形をしており、もともとは千利休の燈籠でした。秀吉が気に入って譲ってほしいと言ったのを傘の一部をわざと折って断り、忠興に贈ったといわれています。こちらには京都でも有名な出雲の阿国のお墓や千利休の邸から移築した書院「意北軒」などもあり、歴史好きな中坊進二はとても興奮しました。 大徳寺は戦国武将として有名な織田信長の葬儀が行なわれた場所であり、そのお墓は豊臣秀吉によって「総見院」に作られています。京都の中でも有名な武将に関係している場所なので、中坊進二としてはとても楽しみにしていました。また大仙院は千利休が親しく訪れた名刹ですが、こちらの枯山水庭園はとても美しく、30坪ほどの敷地に石と砂を組み合わせ、蓬莱山に見立てた大石を滝口として渓流が大河となる様子を表現しています。 "

2016年12月9日金曜日

中坊進二と京都、上賀茂神社の見どころ

"中坊進二が愛している京都の神社の中も、最も有名で観光客も多い神社の一つに上賀茂神社があります。この神社は京都市内の北部に位置している、別名「加茂別雷神社」とも呼ばれる神社であり、ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の1つにも登録されている神社です。下鴨神社と共に古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社であるのが特徴で、葵祭で有名な神社でもあります。 上賀茂神社が創建されたのは西暦670年代の天武天皇の時代であり、雷を「神様」ととらえていた古来の日本人にとって神聖な場所でもありました。 中坊進二が訪れたのは葵祭の時期なのですが、他の時期でも参観は自由となっているため、午後5時までなら自由に参観できるのが特徴です。 神社の見どころとしては、国宝となっている本殿・権殿や、重要文化財に指定されている楼門などです。中坊進二はこれらを見て感動しました。また、鳥居を入ったところにある立砂や細殿も見どころとなっています。この立砂は神社の北にある神山を模して作られたとされており、現在でも鬼門や裏鬼門に砂を撒いて清める風習があるのはこの立砂が起源とされているほど歴史があるものです。 また、縁結びの神である片岡社も近くにあるため、縁結び・恋愛成就などのご利益を授かりたい人にもお勧めです。 上賀茂神社には、賀茂別雷大神にちなんだ厄除けのお守り・お札が用意されています。また、合格祈願や交通安全、安産、延命長寿のお守りなども用意されているのも特徴です。"

中坊進二の京都ひとり旅、光悦寺を訪ねて

"中坊進二が京都を訪れると決まって訪れる寺社がいくつかあります。その中で、京都北区鷹峯にある光悦寺は、中坊進二のお気に入りの寺社です。 この寺はその名の通り、江戸時代の文人・本阿弥光悦が庵を立てたことが始まりの寺です。寺社としての規模は小ぶりでですが、逆にその様が広大な寺領を誇る寺院群とは対照的に、ひとり旅の身には心地よい古刹です。 山門をくぐると、まっすぐな石畳がすっと本堂へ向けて伸びています。格子模様の石を踏みながら、左右には紅葉の並木が連なっており、秋になれば鮮やかな錦秋が実に美しいものです。新緑の季節もまた然りであり、今度は新緑の萌が目に心地よく、人いきれから逃れホッと息をつくことができました。小ぶりの本堂を抜け、この寺の見所である庭園に向かいました。この庭園もまた素晴らしく、光悦垣と世に有名な竹の柵が庭園をしきり、その合間合間に大虚庵を始めとする茶室が点在しています。庵の数は全部で七つあり、文人であった光悦らしく、簡素でありながら一つ一つに得も言われぬ趣があります。一つの庭園というよりは、小道に点在する茶室を訪ねて歩くというイメージがぴったりでしょう。こうした点も、光悦寺が他の寺社と趣を異にする一面なのだろうと思わせてくれます。また庭園の途中には物見の岩があり、そこから眺め下ろす京都の街並みは、千数百の年を経てなお変わらず、しかし変わりつづける光景。かつての人々もこうして変わりゆく風景に思いを馳せていたのでしょう。 しん、と静まり返った境内は心を落ち着け、優しくしてくれる場所です。 中坊進二が光悦寺を訪れるのは、大概決まって春か秋ですが、今度は雪に染まった世界もぜひ見てみたいものだと感じました。"

2016年12月8日木曜日

中坊進二の京都旅、大雲院へ

中坊進二の京都旅で、「銅閣」と呼ばれる大雲院に2013年の夏に特別公開された際に訪問したことがあります。 このお寺が建てられたのは天正15年で、正親町天皇の勅命で織田信長・信忠親子の菩提を弔うために建てられました。最初は烏丸二条にありましたが、豊臣秀吉の時代に四条寺町に移転しました。その後、現在の高島屋京都店の店舗拡張に伴い、1973年に東山にある寧々の道沿いの現在の場所に移転しました。 1973年にお寺が移転するまで、この場所には大成建設や帝国ホテルの創始者である実業家の大倉喜八郎の別荘「真葛荘」がありました。大倉喜八郎は、「金閣も銀閣もあるんだから、銅閣も作る」ということで、敷地内に祇園祭の山鉾をモチーフにした「祇園閣」という塔を建て、屋根を銅板葺きにすることで「銅閣」を造ったのです。独特の形状で天にそびえる祇園閣は、寧々の道からも眺めることができます。 大雲院の境内では美しい庭園や、織田信長・信忠親子の墓を見学しました。境内には石川五右衛門の墓もありました。祇園閣の高さは36mもあり、階段を上って最上部に出ると八坂の塔や京都タワーなどを眺めることができました。 大雲院の見学を終えた後は、中坊進二の次の目的地である知恩院に向かいました。 ちなみに四条寺町には、かつてこのお寺の境内にあった火除天満宮が残っています。中坊進二の京都旅で、別の機会にこの火除天満宮に立ち寄ったことがあります。今は鳥居と小さな祠があるのみですが、多くの人の信仰を集めています。

中坊進二の京都旅行、狸谷山不動院について

京都へ久々に訪れました。今回中坊進二が出かけたのは京都でもたくさんの焼き物の狸さんを見ることができる「狸谷山不動院」です。ご本尊は咤怒鬼不動明王で、焼き物の狸さんがたくさんあるのはこのご本尊の名前からきているのではといわれています。たぬきを他抜き、つまり他の人を抜くという意味で、商売繁盛や芸事上達のために参拝者が狸さんを持参して置くようになったことが始まりだとされています。参道からいきなり狸さん達が出迎えてくれるのもこちらのお寺ならではです。京都ですが、信楽焼き本場かなと思うほどたくさん見ることができます。 先へ進むと250段もある階段があり、途中には弁天堂や空海さんの像などもあります。さらに上へのぼると七福神と共にまたもや狸さん達がいます。階段の途中には狸さんがここは何段目かということを書いたものをぶらさげて教えてくれています。ここの階段には男厄坂、女厄坂という階段が設けられているので中坊進二も除炎招福を願って歩きました。ちなみにこの2つの階段にもちゃんと何段あるかということが刻まれているのでわかりやすいです。男厄坂はわりと急斜面、女厄坂はそれに比べると緩めになっています。 そして見所は「狸谷山不動院」の本殿がまるで清水寺かと思うほどよく似ている造りになっているところでしょう。本堂の舞台へのぼると清水寺より狭いとはいえ、たくさんのおみくじや厄除札が括られています。また難病平癒祈願で患部を御幣でなでることでガン封じや難病よけとなる「なで御幣」というものがありましたので、年々調子の悪いところが出ている中坊進二もそれで撫でてきました。